RowHooMan

15才から作曲を始め、その後バンドを組むも社会性が無く破綻。

ソロになりギターのボディを叩きループマシーンを一切使わず韻を踏む完全一人楽団スタイルで大阪アメ村のCLUBシーンに突如現れる。

家を持たずギリギリ人間の生活の中、友人たちの強い薦めにより1stアルバム【GaragePops】を自主制作。

たちまち1000枚をSOLD OUTしインディーズレコード会社から全国デビュー。

噂はそのまま日本全国へ飛び出し、様々なイベントやフェス、選挙の応援活動に参加。

海外でも正式なライブを繰り返し帰国後2ndアルバム【ASIA MEDIA】を制作。

マスタリングをSex Pistols担当者Tim Yongへ依頼し、発売後初の国内ツアーを決行した。

地球の環境問題に積極的に取り組む事がタブーとされる日本音楽シーンにおいて、原発事故以前から発信をしており、海外のマガジンでは表紙を飾るなど広い視野で地球規模の活動を広げている。